角でできたホルン文明に取って代わったのが真鍮ホルン文明である。
後に言う「ナチュラルホルン文明」である。
ただし、ナチュラルホルンとは、後世の研究者達の呼称であり、
当時は自らを単にホルンと呼んでいたが、ここでは慣例に従い、「ナチュラル文明」と記述する。
ナチュラル人は、コルムスという1人の男を指導者とする集団で、急速に勢力を拡大した。
コルムスは弟のテンムスと共にオオカミの乳を飲んで育ったという伝説を持つ。
これも後にホルンが2本で1組と言われる源流の1つと言って過言ではない。
オオカミの乳を飲むコルムスと弟のテンムス
コルムスは新兵器、真鍮製のホルンによって強大な版図を築いた。
ホルンが真鍮製になったことで、動物の角よりも遙かに緻密で効率の良いデザインが可能となった。
特に、音の出る「ベル」という部分が大きくなったことにより音量が一気に増した。
そして、ナチュラルホルン帝国はその領土を拡大急成長したのである。
そのシンボルとして有名なのが、首都に建立された「ベル・ウルサイユ宮殿」である。
首都に建設されたベル・ウルサイユ宮殿
首都は、パリ。かつての若者世代が気取って「フレンチホルン」と呼ぶ理由である。
なお、後にホルン本体とベルを着脱可能な「ベルカットタイプ」と呼ばれるホルンを愛好する部族も現れる。
本体とベルが バラバラのホルン。
よって彼らは「ベルバラ族」と呼ばれるが、これはまだ先の話である。
まさに真鍮のホルンがシンボルであったナチュラル帝国は、帝国領土内に海すら持つようになった。
「我らが真鍮ホルンで征服した海」という意味で、内海を真鍮海と呼んだ。
真鍮海周辺の簡易地図
ナチュラル帝国は大きな版図を持っただけに西と東では随分事情が違った。
そして、結局は分裂することになる。
本国フランスを持つ「西ナチュラル帝国」と豊富な人材を育む「東ナチュラル帝国」である。
楽器生産の西、奏者誕生の東とも言えよう。
西帝国はフランスを拠点とするクラウーディウス朝(通称ラウー朝)が最も有名である。
ラウー朝の元では長い間帝国随一のブランドホルンが生産された。
また、東のボヘミアでは優秀な奏者による僭主制とも言うべき共和制がとられる。
英雄ジョヴァンニ・プントライアヌス(通称プント)が登場。
傭兵隊長としてラウー朝版図内で縦横無尽の活躍をし、一時期東西ナチュラル帝国を統一した程の威勢を持った。
プントの功績は「ハンドストップ」技術を帝国中に広めたところにもある。
これは、アダム・スミスの「国富論」に基づく技術であり、
「神の見えざる手」という言葉は有名である。
アダム・スミス 名著「国富論」は12表法の確立を予言し、ホルン奏者の仕事を増やし、ホルン経済学の父と称される。
これまでは「ド、ミ、ソ、♭シ」の4つしか出せなかった。
だが、ベルの中に隠した「見えざる手」によって12音全てを出すことができる、という理論である。
ハンドストップはプントの独創ではないが、技術の向上と定着に貢献したことは間違いない。
なお、12音を表現するこの方法は体系化され「12表法」と呼ばれた。
「12表法」を元に、数々の教典が書かれた。
特に、「預言者モーツァルト」が残した4つの福音書は、それぞれ、協奏曲第1~4番と呼ばれ有名。
音楽大神殿(略して音大)入殿を志すものは神官達の前で奏す試練が与えられるが、今なおこれらが定番の試練である。
また、協奏曲第1番は貧しきもの達が料理を作る際に流され、慰めを与えている。
そして、聖人ベートーヴェンはナチュラルホルンと英雄プントを讃える戯曲「ホルンソナタ」を完成。
ベートーヴェン ナチュラルホルン帝国においてホルンソナタをはじめ数多くの功績を残すも、後に第九交響曲において台頭するバルブ朝に寝返る。
この様にしてナチュラル帝国は繁栄を極めたのであった。
しかし、ナチュラル帝国の繁栄は100年程で終わりを迎える。
そう、バルブ民族の大移動によって。
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