人類が誕生して以来、多くのホルン文明が登場しては消えていった。
ホルン史とは、「現在一般的に流通するホルンに繋がる歴史」と定義されているが、それ以外に、消えていったホルン文明、ホルン種族があったことは頭の片隅に入れておくべきであろう。
現在のホルンは主に「牛」「羊」の角から作ったものを祖先に持つ。
しかし、神話に見られるように、先史時代には、相当な種類のホルン民族が乱立していたらしい事が分かってきている。
しかし、乱立というだけあって、その中には粗悪なホルンを生産し、神の怒りを買ったホルン民族も多い。
ソドム、ゴモラ、などの街では、鹿の角で作った粗悪なホルンを吹き鳴らし、ついに炎上させられたのは、多くの宗教の教典が語るところである。
だが、それでも粗悪なホルンは大地を埋め尽くさんばかりであった。
そして神はついに決断したのである。
神は、ノアに大きな箱舟を造らせ、「牛」「山羊」などのホルンを2本1組で集めさせた。その後、雨を降り続かせ洪水を起こし、悪しきホルン達を押し流してしまったのである。
地上は全て水で満たされ、ノア達を乗せた箱舟だけが神の祝福を受けることができた。その情景を描いたのが「ヘンデル作曲 水上の音楽」である。
水が引いた後、ノアの一族は地上に降り立ち、ホルンの演奏を再開。この時よりホルンは2本で1組の風習が生まれたという。
これが、有名な「ノアの箱舟」の話である。
神話といえど、いくらか歴史的に興味深い内容を包括している。まず、現在出土される角でできたホルンのほとんどが牛、山羊などで、鹿の角はほとんど出てこないこと。ノア達が選定した美しきホルンのみが生き残る結果となった。つまり、良品による淘汰である。もちろん、2本で1本の役割が書かれている事も実に興味深い。
また、ホルンには関係ないが、流された鹿の角は現在の奈良県に漂着し、平城京が造営されたという記録が古事記に残っている。奈良の都の末裔は、今でも鹿の角を頭に付け営業してまわるという風習を色濃く残している。
そして、この「ノアのホルン」の話がたとえ伝説に過ぎなくとも、牛、山羊のホルンはなかなかの繁栄を享受し、次の時代、いよいよ我々が知る、史実に突入するのである。
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ピアノ石井理恵
総合司会チャーリー犬和田
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