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日記

 

2016年2月23日

山形大学時代の先輩出演のオペラを観た。

また、10年ぶりに会う台湾で活躍中の友人のリサイタル。

 

自分の10年はどんなものだったのか、考えると反省が多い。

僕は何か残せているのか、と思うと心もとない。

プロウィンドも道半ばだ。

恐らく一番形になっているのはホルン紅白だろうけど、あれは自分の力というよりも、ね。

 

自分がホルンという楽器であれこれやってはいるけれど、

とりたてて自分に才能があるとも思ってはいない。

何ができるのか、正直悩んでいる。

 

結局何にも残さなかったけれど、良い人生だったなあ、と思えるように生きてきたつもりだ。

でも、案外それって難しいのではないだろうか。

何か残せるようなことをやった方が、満足して死ねるんじゃないだろうか。

今のままいったら、確実に後悔する。

自分よりもはるかに努力して素晴らしい人生を送っている同世代を見れば

思うしかない。

 

だから、山形で何かやろうと思うわけ。

 

11月14日

フランスで大規模なテロが起きた。ISの犯行声明が出ている。

これに対し、多くの反応が、犠牲者への追悼とISへの批難である。

当然だ。人を殺して良いわけがない。

 

その上で、誤解を恐れず書けば、

今回のテロは実に巧妙であったと言える。影響が大きい。

 

古代ローマから「分割し支配せよ」と言われている。

イギリスもめったやたらにアフリカを分断し、民族戦争をあおり支配した。

みんなで力を合わせるのは強い。一致団結は強いのだ。

だから、分断、分割する。

 

EUは、いよいよ分裂の危機を迎えるだろう、と思われる。

移民を積極的に受け入れてきたフランスで大規模なテロ。

サッカーのフランスチームを見ればそれだけでわかるというものだ。

移民への不信が高まれば、移民への過剰な迫害も始まるだろう。

民主主義は多数決であるから、移民を迫害するのが多数派ならそうなるだろう。

移民も富裕層=白人・キリスト教徒をターゲットにしたテロを喜ぶようになる。

EU圏内の自由な移動はこれからどうなるだろうか。

 

EU圏内が自由に動けなくなれば、ますます圏内の格差は広がる。

東側やイタリアは移民であふれ、フランス・ドイツは外壁に守られる。

ギリシアに対し、富裕国であるドイツは冷たかった。

この印象が、結局フランスとドイツは、という諦めと憤怒につながるだろう。

 

911の際に、旧東側陣営の諸国民に

「たまにはアメリカもテロで苦しむべきだ。良い勉強になったろうよ。」

と思った人が存外多かったと聞いたことがある。

 

天災ではない。人災だ。だから、いろんな視点から見ないといけない問題だ。

 

テロは容認できない。

だが、テロとは政治的行為である。

何を狙ってやったのか、をISの声明だけでなく、現状から読み解くことが必要になる。

目をそむけずに、見る必要がある。

少なくとも、ネットの情報に頼りきりにならず、ソースのしっかりした新聞で事件を見る必要があるだろう。

 

日本も、十分テロに巻き込まれる時代に突入している。

戦争反対、とか言っている場合で無く、どうしたら世界がより平和になるか考えるべきだ。

反戦活動ではなく、だれがどこでどんな風に困っているのか知る方が、よっぽど戦争を防ぐことができるのではないか。

 

11月3日

ディズニーランドへ行った。

何年ぶり、ではなくて、それこそ10年以上。

面白かった。また行きたい。

営業努力、というか、行き届いている。

音楽が素晴らしい。いや、音楽も素晴らしい。

もちろん、すべての人に、ということではない。

たとえば音響的には、

いきわたらないことを恐れていて過剰になってキツイと感じる瞬間もある。

小さな子供が耳をふさいでいるのを見た。

が、リピーターが多数いるであろうことはわかる。

 

ショーも古い手法が多く、あ、と思う瞬間も多い。

熊のショーは本当に良かった。

 

また聞きたいな、と思わせるのが本当の芸人なんだろう。

志ん朝さんの火焔太鼓がね、という落語のように、

あいつのあの曲が、と言われるようになりたいものだ。

それには、どうしたらよいか。

わりと、ディズニーからヒントをもらえそうな気がする。

ってのは、言い過ぎだろうか。とにかく面白かったからね。

 

2015年10月4日

昨日、ふとしたことで、そういえば、HPの更新をまるでしていないことに気付き

思い立って更新することにした。

 

そもそも、どうして更新していないのか、を考えたところ、

昨年の12月29日の日記を見てわかる通り、現在の自分のやりたいことが明確化しており

心の中の不満がある程度解消していることが大きいように思う。

 

日記とはいえ、欲求不満や葛藤を投げかけてきた。

今の僕は、周りではなく、自分のやり方によって解決できる問題が多く、

また、それに向かっていれば忙殺される。

 

ツイッターへの書き込みも少なくなったし、FBにもほとんど投稿しなくなった。

 

が、それでいいのか、とも思う。

 

昨日、後輩であり、友人である男と飲んだのだが、

彼は戦っている。なのに、僕は戦っていないことにあらためて気付かされた。

戦っていないからこその安定も確かにある。

だが、クリエイティブさという点では彼に負けている。

とにかく、勝負しなければいけない。

 

第3のホルンアンサンブルをもう一度やろう。

僕にしかできないコンサートをやりたい。

思わぬ形のリサイタルをしたい。

もう30代も後半。芸術家として活動していることを改めて思おう。

芸術家だなんてとんでもない、なんて卑下してはならない。

自分のやりたいことをもう一度考えよう。

 

12月29日

今年の総括。

とにかく、忙しかったけど充実した日々であった。

気付けば一年終わっていたけど、良かった。

 

なにより

ジークフリート牧歌を定期で演奏できた。

定期で一人立たせてもらい、ブラボーを受けることができた。

これが今年一番の思い出の本番。

 

B→Cにも挑戦することができた。

とにかく、自分の限界に挑んだ本番だった。

 

そして、第九も思うように吹くことができた。

思うように吹くことができても、それが思うようになのか、思わされてたのかはわからない。

こう書くのは、年々第九が自分にとって難しい作品になるから。

きっと来年はもっと難しく感じるだろう。

難しいけど、今年よりもその分深い演奏ができるかもしれない。

ロングトーンが難しいと感じたら、上達した、と言えるようなものだろう。

 

娘もすくすくと育ち、明日で1才。

感動の多い一年だった。

来年は、僕の中では「我慢の年」と位置付けている。

東響では、3番ホルン奏者の方が定年を迎える。

したがって、僕が3番を吹くことになるだろう。

元々新日フィルでは3番奏者だったし、気が楽ではある。

 

ただ、新日フィルの時もそうだったけれど、

気が楽になると、面白くない。

面白くなくなると、面白いことを探そうとする。

面白いことをやりたい。

そうなったときの決断は、胸に秘めているが、

まあ、そしたら、オーディションが一つ増えるだけで

若手は喜ぶだけだろうな。

 

11月30日

ボールを投げたら、彼らはやはり、僕の後輩だった。

自分たちでやる、とのこと。

工夫をしてやり遂げてほしい。

 

吹奏楽は一つの宗教。

だが、宗教はこの世に蔓延っている。

「紙幣」だって宗教だ。

原価30円にも満たない紙切れを1万円と信じている。

つまり、1万円だとみんなに信じさせる理論があり、それで信じてるってわけだ。

実際、ジンバブエなんかはみんな信じなくなったし、宗教を信じない人も出てくる。

 

そのカラクリがわかれば、強豪校に勝つことができる。

本当に熱狂的に教祖を信じている学校。

果たして、その教祖は本物なのか。

音楽は本物なのか。

もっと言うと、自分たちはそこに割って入れるのか、凌駕できるのか。

 

ドラッカーではないけれど、自分たちの音楽をやって勝利する、とはどういうことなのか

考えてほしいものです。

他人との比較で勝ち負けは無いけれど

音楽的な勝利はあると思う。

つまり、目標達成。

 

11月17日

随分更新が飛んでしまった。

おかげさまで忙しい。

 

山形が本当に好きだ。

もっと言うと、山形にいる人が好きだ。

 

自分の母校で学んでいる高校生が言ってくれた。

「他の学校に指導に行ったと聞いています。うらやましいと思いました。

 ぜひ、うちにも来てください。」

 

たしかに、山形の吹奏楽プロウィンド023の演奏などで

山形へ帰る機会は格段に増えた。

だが、母校へは行けていない。

やはり、つながりのある恩師、恩人に声をかけてもらい

指導に行ってスケジュールはいっぱい。

 

でも、期待してくれる、望んでくれるのであれば、

行くしかない、と思っている。

 

今、わが母校の吹奏楽部はちょっと大変らしい。

そんな実情をある人から聞いて、なんとかできることをしてやりたいと思った。

毎年、定期演奏会を聞きに行けないし、指導にも行けない。

いちおう、プロ奏者なのに、なんにも関れてない

と免罪符という形で、OB会費だけはちょっと上乗せして振り込んでいた。

まあ、免罪されてないよね。

 

今まで、母校に自分からボールを投げたことなどなかった。

自分の友人を良かったら指導者で呼んでみないか、ということは1度あったが、

自分が母校を指導しよう、と思って行動したことは無かった。

 

先週末に、初めてボールを投げた。

彼らがどう投げ返すかはわからない。

 

もし、僕が現役部員なら、

「指導者なんて必要ない、自分たちだけで音楽をやるんだ」

と、「ありがとうございます。でもお忙しいでしょうし・・・」

なんて言い方で断る誘惑に駆られていただろう。

いや、

「プロの技を盗むチャンス」

と思うかもしれない。

 

いずれにしろ、今の現役高校生たちが、僕に山形に対する情熱を自覚させてくれた。

色々、「今の若い奴らは、高校生は」なんて言う人もいるが

とんでもない。

音楽という共通言語で付き合えば、彼らの素晴らしさは良くわかる。

だから、彼らが卒業後に「音楽、吹奏楽はもういいや」とならないようなアドバイスが必要だ。

 

ちなみに、僕が指導した山形の学校の3年生に受験も終わって結果待ちという子がいる。

保母さんになりたくて地元の短大を受けたそうだ。

きっと、子どもにたくさん歌を歌ってくれるだろう。

歯科助手の専門学校に通うことが決まった子もいる。

彼女は「山形にこれからもいることができます」と言った。

あの年齢にして山形の素晴らしさを理解している。

 

学ぶことが多い。

 

7月1日

オペラシティー B→C 大野雄太ホルンリサイタル終了。

本来なら、もっとこのホームページでも告知するべきだったと思うが、こんなに

ホルンのことを考え続けて生活したことも無かった。

わかってはいたが、ホームページを編集する時間を練習に割いた。

 

練習は、するべきだと思う。

緊張によりダメだったところも、まあ、やりつくした結果だしなあ

と受け入れることができた。

少なくともアンコールの作品だけは傷なく吹くことができた。

我ながら強靭なスタミナを手に入れてしまったものだと思う。

 

そう、そのアンコール。

ホルン奏者に作品を委嘱した。

安田健太氏 彼は僕の後輩であり友達でありホルン仲間である。

 

今でこそ「作曲者」と「演奏者」ははっきりと分かれているけれど、

かつては「作曲者兼演奏家」である場合が多かった。

演奏者は作曲の技術を持っている人がほとんどだった。

ホルン奏者も例外ではない。

 

G.プント

F.シュトラウス

O.フランツ

I.ジェームズ

彼らの作品はホルン奏者が愛する作品。

もともと彼らも自分の楽しみとして書いた作品だ。

今でもホルン奏者は自分たちの楽しみのために演奏する。

 

しかし、現代の日本にはそういう作品がまだない。

(ホルン奏者にとって)娯楽性のある作品。

それができたら良いなあと思うし、きっと今後につながるだろう。

 

あ、作曲してもいいんだ、と思ってくれれば僕の企みは大成功。

きっと、F.シュトラウスのノクターンに代わる「日本人ホルン奏者の手による作品」が

音楽大学1年生前期の試験で演奏されるだろう。

 

貴重な場を提供していただいたことにひたすら感謝。

 

それにしても、いつか、同じプログラムで演奏する機会は無いものか。

無いだろうな。

特別な夜だった。

 

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ホルンで紅白歌合戦2015
新潟りゅーとぴあ3か年計画最終章!あのホルン紅白新潟見納め!これは見逃せない!ご家族そろって新潟へ!

2015年10月10日14時開演
入場料1000円
紅組キャプテン大野雄太
白組キャプテン上間善之
ピアノ石井理恵
総合司会チャーリー犬和田
いよいよ新潟紅白最後のステージ!お見逃しなく!

 


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