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日記

 

1月30日

そんな昨日、ボエームの千秋楽。

僕は、この日以来、新国立劇場にしばらく行くこともないな、と思ったので

かき揚げそばが素晴らしいあの立ち食いそばの店に行こうと決心していた。

 

だが、だがしかし、

その店は日曜日で定休日であった!!

 

僕は途方に暮れた。

しかたがないので、コンビニからカップラーメンでも、と思い入店。

「復刻、総選挙」というのがあるらしく「N社」のコーナーで物色。

あえて2位の「ブタホタテドリ」を買ってみた。

2位の商品だ。きっと美味しいに違いない、と期待を込めて。

 

だが、僕の期待は裏切られた。

とても2位という栄冠に輝く味ではない、と僕は思った。

 

僕は、カップ麺のにおいで楽屋が臭くなることを避け、

スタッフルームで食べていた。

これは、なにも当てつけではなく、

スタッフのみなさんがまさに今カップ麺を食べていた、ということに便乗したものだ。

 

そして、僕の隣の方が食べていたのは1位の「天ぷらそば」であった。

 

結局、我々は「N社が『総選挙』という言葉を使いたかっただけ」という意見に落ち着いた。

 

ところで、総選挙、という言葉を聞くと、今や「AKB48」を連想するわけだが、

 

先日の国会では、自民党の谷垣さんがしきりに「総選挙」と叫んでいた。

政治家すらもAKBファンなのか、と思ってしまう。

 

とりあえず、カップ麺やアイドルのこと考えると怒りが湧いてこないか?

 

いまだに政治家をアイドルやカップ麺と同じような「総選挙」で選んでるなんて!

もっとマシな方法があると思う。

 

※ちなみに、民主主義を徹底させると、選挙ではなく、くじ引きになるそうだ。

無作為で選ばれた人がある一定期間政治をやるのを繰り返すのが真の平等に近いという考え。

 

1月27日

新日フィルの首席オーボエ奏者ホアンが地元スペインで亡くなったと知った。

あいつは本当にいい奴だった。

優秀な奏者だったし、ツヤツヤした音色は傑出していた。

 

彼と地下鉄に乗って話したことが強く記憶に残っている。

彼は相当頑張って日本語を勉強していたと思う。

ほとんどが日本語での会話だった。

 

彼は「~ですね」「~と思います」と敬語を使う。

とても紳士的な男で、差別的な概念も持ち合わせていないようだった。

とにかく、西洋でいうところのリベラルアーツをものにしたような、

ああいうのを精神的貴族というのではなかろうか。

 

日本でも友達が多かった。

聞くところによると、ドイツでも彼を尊敬する人は多かったという。

 

中華料理屋での宴会は楽しかった。

終電を忘れて飲んだ。

 

スペインで何を考えていたのだろう。

僕にできることはなにかなかったのだろうか。

悲しさが度を超すと、悔しさで身がよじれる。

 

 

1月24日

良くない風邪、という言い方もおかしい気がする。

良い風邪というのを聞いたことがない。

とにかく、今年も良くない風邪が、ということなのだろう。

 

一昨日、こてんぱんに酒に飲まれノックアウト。

昨日、今日と休肝日。

いや、休肝日と言うよりは、酒を飲まずに作業をしていると言って良い。

このHPも更新している。

 

今、オケ業務以外にやっている主なことは2つ。

「ナチュラルホルンの練習」

「冬の旅のあれこれ」

 

それにしても、うちの妹がデザイナーであり助かっている。

フォントの配置だけで随分ものの印象が変わることはHP作製で嫌と言うほど思い知った。

プロに任せている、というのはそれなりの安心感があるものだ。

 

と書くと、自分でギョッとしてしまう。

コンサートに来るお客さんも意外にも安心して来てるのではなかろうか・・・。

いやいや、ホルンという楽器がオーケストラにいる限り、そんなことは、

と思いたいが、

いやいや、そう思っているのは甘えだ!!

 

どうしてお客さんに不安に思わせる必要があるのだろう・・・。

 

ところで、この「がんばるコンサート」は第1回から、

必ずお客さんを驚かせる仕掛けを施している。

そういう意味では、「不安」ではなく、「期待」につながっているかも知れない。

 

ああ、不安と期待が入り交じっている、と書くと見栄えがよいか。

 

実は、この辺りの葛藤をいつも持っている。

安定した演奏はもちろん不可欠ではある。

けれど、なにかチャレンジした演奏でなければ、感動が薄い。

もちろんチャレンジとは無謀でないわけで

お客さんの前ではチャレンジはほぼ8割方チャレンジではなくなっているわけであるが。

 

わかりやすく言っちゃえばバランス、ということなんだろうけど、

あえて葛藤とかっこつけていってみる今日この頃。

 

そういえば、元首相の福田さんが「あのころはひどかった」と民主党を揶揄してるが

「あのころ」、とは「あなたとは違うんです」という発言でボコボコに叩かれてたころ。

人の振り見て我が振り直せ、とはいうけれど、「中庸、かつ果敢」、は難しい。

 

1月23日

ご無沙汰しております。

久々の更新であけおめことよろです。

 

さて、色々ありますが、ドルチェ楽器で行う仲間と頑張るコンサートの詳細をお知らせします。右のinformationをご覧下さい。

 

がんばるコンサートは、「とにかく自分が仲間と頑張る」というのがメインです。

「頑張ろう東北」とか「頑張れ日本」に対し、ちょっと無責任なんじゃないか、と考え

「とりあえず自分が頑張る」というコンセプトです。

 

正直、冬の旅全曲をやるのはキツいです。

スタミナ、とかじゃなくて、内容がキツい。

それだけにやる意味もあるだろう、と思ってます。

 

そろそろ敬語はやめて、通常の日記言葉で。

 

冬の旅は、単なる失恋物語では決してない。

 

(多分自殺未遂)罪を犯した人間の心を描き、新進芸術家の心意気を描いたもの。

もちろんそれだけではなくて、ウィーン体制に対する反感や世間に対する反感など、あらゆる感情が込められている。

 

詩の内容は総じてネガティブ。暗い。

目を背けたくなる生々しさがある。

有名な曲、菩提樹も、実は首吊り自殺をほのめかしているのだ。

これは想像ではなく、ソースがある。

プロテスタントのコラールにも度々「憩い」「おやすみなさい」などは

「死」を暗示する言葉として使われている。

 

なんでそんな曲を、と言われると、あまりに多くの説明をしなくてはならないけれど

詩の引用と解説で説明になれば、と。

 

   一本の道しるべが、僕の目の前に揺るぐことなく立っている。

   この道を進まなければならない。誰も帰ってきたことのない道を。

                      第20曲「道しるべ」より

 

この道しるべ、つまり行く先を示す標識だが、いくつか解釈がある。

まず、次の曲「旅籠」で登場する「墓場」と書いてあるとする説。

誰も帰ってきたことのない=死、という説だ。

 

もう一つ。

標識にはなにも書かれていない、という説。

つまり、帰ってきたことのない=前人未踏の芸術領域という説。

 

「死」と「活」が同居している。

詩は多層の意味を持つ。我が国の和歌や俳句でもそうであるように。

 

放射線、瓦礫の処理、復興予算、雇用問題を抜きにしても

割と厳しい今日この頃。

あえて厳しい人間の心の現実を見る、という試み、ということ。

現実をしっかり見ることは苦しいけれど、今必要なことである、と

誰しも言う。

この曲はまさにそんな曲、と判断。

 

もちろん、僕が高校生の頃から繰り返し聴いてきたこの歌曲集には特別な想いがあることも事実です。

 

3月5日19時。

トークの達人 篠原さんとのトークで解説も楽しみです。

 

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