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日記

 

2月26日

そうは言っても家が一番であろう。

旅から帰宅。

今回、宿泊先は既に決められており、私が普段選んでしまう安い宿ではなく、結構良いホテルであった。

 

それでも、日中の仕事であったために観光は一切できず。

 

旅をして演奏をする場合、できればその土地の史跡、観光地を訪ね、

その土地の食を楽しみ、酒を頂き、その土地の人と話す、という事をしたいものだ、と思う。

そうした方が仕事に対し気持ちが入り、かつ地元にお金を落としていける。

精神面と経済面、両方共に潤いが出る。

 

そこで、時間が無いなりに、と観光ができない時は、

念入りに「食と酒」をやるわけであるが、

まあ、なんとも言えない結末になるわけである。

 

ところで、今回の旅で出会った方の話を聞いて、心から留学をしてみたいと思った。

1日経てば1日老いる。至言。

 

そんな時に、

ある小学生に「おっちゃん」と言われた。

関西での話であったから、「おっちゃん」に悪意はないんだろうけど、

「誰がおっちゃんやねん」って返すべきだったのだろうか。

小学生から見れば、30歳は、まあおっちゃんなんだろうな。

 

明後日からまたちょいと旅。

 

 

2月20日

それでもやはり感動的だった。

さる御仁よりメールを頂いた。

帰宅途中、大量の荷物を抱えていたために即行動には移せなかったが、

荷物を置くと再び電車に乗り込み大きな本屋へと急いだ。

普段はほとんど足を向けない漫画コーナーを探す。

そして、それはあった。もちろん、即購入。

 

「究極!!変態仮面」が文庫化され完全復刊したのである。

 

店員に「表」「裏」どちらを上に差し出すかで久々に悩んだ。

もちろん表で堂々と購入。ネームプレートに「研修中」とあった彼女に変態仮面を突きつけたわけだ。

 

新規120ページ書き下ろしが必見と思い喜び勇んで購入したわけであるが、

内容に関しては意外なもので、特に父親の描写。

少年週刊誌ではまずい描写もある。

元々不条理なストーリーだが、まあ、それはそれで良いように思う。

ただ、できれば、スペシャルストーリーではなく、

普段(当時の)出てきそうな悪者をお仕置きする話を書き下ろして欲しかった。

 

私は、「音楽」を変態仮面によって学んだ、と言っても良い。

音楽はくり返しの芸術。変態仮面はひたすらくり返していく。

ドリフと同じように、ある意味マンネリの笑いである。

つまり、それは少しの違い、差を楽しむ、という事。

音楽においてもハイドンからロック、ミニマルまでこれは一緒であると断言できる。

(ただ、文学、言葉に密接につながって修辞法に支配されているバロック以前は当てはまらないことも多いが、まあ、所謂クラシック以降は、という意味でソナタ形式が確立したハイドン以降と注をしてみた)

 

是非、音大生の皆さんに変態仮面を読んでいただき、感動していただき、

普段の演奏活動に生かしていただきたいと思う。

「ソルフェージュ」「和声」「変態仮面」

これが近い将来演奏家の3大基礎になるかも知れない。

大推奨。

 

 

2月18日

八丁堀の旦那が逝ってしまわれた。

中学生の頃、夕方4時だったろうか。

少なくとも山形県内においては、テレビで必殺シリーズを再放送していた。

テスト週間だったのか、すでに部活動から解放された3年生後期だったのかは忘れたが、

それを見るのがとても楽しみで、必死に自転車をこいだものだ。

 

必殺という設定がすでに秀逸なのだが、

藤田さん無くしてはあのシリーズは続かなかったろう。

2009年版の必殺では老境の旦那を演じていたが、それも圧巻だった。

また映画化やら何か新作がでるのかと密かに楽しみにしていた。

 

もはや、書くべき言葉もない。

なんと言ったらよいかもわからない。

 

2月17日

今日の日記は投げやりだ。思い付いたことを適当に。

忙しいけれど更新しようと思ったら、こうなるって事だ。

 

世界史上燦然と輝くその名は「戦艦ポチョムキン」。

世界史を勉強していれば、いや、していなくても辿り着く偉大な戦艦ポチョムキン。

それにしても、

「ポチョ」の上に「ムキン」とはよくぞ思い付いたものだ。

よっぽどムシャクシャしてたんじゃなかろうか。

どうしてポチョムキンなんて名前を付けたんですか?

ムシャクシャして付けた。

 

ただ、考えてみれば、「ポチョ」「ムキン」、

「ポチョム」に「キン」かも知れない。

いや、案外、「ポ」「チョムキン」だったりして。

しかも、これが反乱を起こすわけだ。ムシャクシャしてポチョムキンで反乱。

 

ピンとこない人はとにかく、朝の新宿駅当たりで、「ポチョムキン!」と大きな声で叫べば、何かわかるだろう。

 

それにしても、

「戦艦?」と言った後に人にマイクを向ければ9割方「大和」と応えるだろうが、

確実に「ポチョムキン」という奴もいるだろう、と思う。

 

ああ、私の使っている楽器のメーカーがポチョムキンって名前だったら良かったなあ。

それで、ムシャクシャして楽器吹いちゃう。

いや、まあ、結局楽器吹いてムシャクシャしてポチョンマッコリだ。

ポチョンマッコリ。ポチョムキン。

 

 

2月15日

マクドナルドのハンバーガーが既に日本食であるのは言を待たない。

和食とは言っていない。日本食だ。

同じく、ラーメン、牛丼、カレーなどが日本食だろう。

そろいも揃ってジャンクな品々。

 

とはいえ、落語などに出てくる蕎麦なんかを思い出すと、

出てくるのがとにかく早く、安く、あっという間に平らげることができる、

という江戸からの価値観を踏襲したものだと言えるだろう。

 

そういう意味で、ジャンクフードは日本食の名に相応しい物であろう、と言うのは言い過ぎだろうか。

 

なんてことは既に他の人も言っているのだろうが、

私は今日、1日で、牛丼、ハンバーガー、ラーメンを食ってしまった。

 

悔い改めねばなるまい。

 

しかし、最近は、エビスにペヤング、なんてことは無くなった。

そもそもビールもあまり買わなくなった。もらった焼酎とウィスキーをちびちびとやる日々だ。

ということは、まあまあ悔い改めていると言える。

良かった。

 

だが、浴びて浴びて浴び倒したい。そう思う今日この頃だ。

 

明日は、北の将軍様の誕生日。

明日、新日フィルはベートーヴェン交響曲第3番を演奏する。

なかなかの選曲だと思う。

 

 

2月14日

バレンタインデー。

ヴァレンタインと未だに書かないバレンタインデー。

 

きっと、こんなこともあるのだろう。

 

「由起夫ちゃん(仮)、ママからバレンタインのチョコレートよ!」

「うわーい、あれ、チョコの下になんか入ってるぞー」

「それは、あくまでも、ママからの、ママからの気持ちだから。あ、お友達にも分けてあげるのよ。」

「うわーい、これで手下も大喜びだよ!」

「だから、お友達だってば。」

「うん、お友達にも分けてあげるよ!」

 

さておき、

日本には八百万の神が住む、という考え方の神道。

それに沿えば、キリスト教の神すらも八百万の一員に過ぎない、という事になる。

さて、では、聖ヴァレンティヌスは、その八百万分の一のさらに下って事だ。

それなのに、バレンタインデーとして特別扱い、1日、つまり、1/365年を使って祝ってもらっている。

 

これは、凄いことだと思わないか。

365 ÷ 8000000以上 = 0.0000456以下

神道の考え方とすれば、もし、平等とすれば、ヴァレンティヌスが祝ってもらえる日にちは、

一年のうち、0.0000456日以下である。

つまり、0.001時間以下

つまり、0.06分以下

つまり、3.6秒以下

 

もし、「神国日本の民」で「平等を掲げる人」ならば、

バレンタインにかけられる時間は一年に付き3.6秒以下であるべきだ。

 

とはいえ、これが現実だ。

バレンタインに1日かける、これが現代の八百万の国日本。

かく言う私も、このバレンタインの事を書くのに3.6秒以上つかってしまった。

我々は西洋、いや、キリスト教の発生は近東であるが、

とにかく、随分諸外国の文明に影響を受けているのだ、と思わざるを得ない。

 

ああ、それならば、

どうせ影響を受けるのならば、

せめて、せめて、

 

製菓会社じゃなくて、酒造会社がバレンタインデーを広めて欲しかった、と静かに思う。

 

「愛するあの人に、ワンカップ」

そして、道に溢れるワンカップ片手の恋人達。

 

「これ、私の手造りワンカップです!良かったら呑んでください!」

「えっ?(法的に)いいの?あ、(ドブロクだけに)ホワイトだね」

 

まあ、ワンカップにこだわる必要は無いのだが、この時期、山形ではワンカップが重宝する。

雪は大嫌いだが、オリンピックを見ると雪見酒をやりたくなった。

 

 

2月13日

近所の薬局、というよりも、ドラッグストアに行ってみた。

木管5重奏を一緒にやっていたメンバーからかつてもらったボディーソープが保湿性に優れており、それを入手できないかと思ったためである。

舶来品。とはいえ、ウェブ上では注文が簡単。
されど、近所の商店街から買えるものならそれが一番気が楽であり、と歩いてみた。

だが、というか、やはり、というか、結論として愛すべき商店街にはかの品は無かった。

 

ところで、多少気になることがある。

ドラッグストアで売られているシャンプーとボディーソープの差。

一見、どちらもたくさんの種類と量。

だが、良くみると、シャンプーに比べボディーソープの種類は貧弱なのだ。

5店舗くらいまわったが、どの店もそうだった。

さらに良くみてみると、洗顔フォームも相当種類があった。

で、それに比べると、一番洗うべき面積を占めている部分に使う、つまりボディーソープの種類は貧弱。

 

はて、これはどういうことだろう。

 

思うに、

みんな見えるところだけこだわって洗っているのではないか?

で、案外そうでないところは、大量製造の安い石鹸でゴシゴシやっているんじゃ無かろうか?

という結論に落ち着いてしまう。

 

で、シャンプーコーナーの前で立ち止まり考え込む女性の籠の中。

見ちゃいけないと思いつつも、そんなことを考えてしまうと、ついついチラリと。

そして、籠の中にまあ、良くあるタイプの安いボディーソープが放り込まれているのが目に入るわけだ。

 

一点豪華主義、といえば良いのかも知れない。

 

なんとなく、「台湾製の楽器」に「特注マウスピース」という組み合わせを思い出した。

 

 

2月11日

それなのに帰宅できた。
2年前の凄惨な出来事を思えば、帰宅中雨に降られたのは大したことではない。

キーワード

「2月」「某響のホルン奏者2人と私」「指揮者」

この条件が揃った。

練習初日、よい天気であった。全てがあの時と一緒だった。

そして、本番の日に天気が崩れる。これも一緒だ。

 

そう、2年前の2月、私たち3人は新千歳空港に一泊した。

周りは吹雪。空港は飛行機どころか電車も動かず、まさに陸の孤島と化した。

あのときと、札幌と川崎という差はあれど、数々の条件が重なった。

そう言えば、あのときも1番アシスタントだった。

 

これは、何かが起きる!

我々はそう確信した。

 

そして、それは残念ながら現実となった。

 

本番が始まる。

 

前半のブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」。

第2楽章の直前。非常に静かな場面。

 

グオォォォォォォォォ、ズビイィィィィィィィィィィィ・・・・・・・。

ミューザ川崎のアルプスに広がる豊潤なるイビキが高らかに響いた。

 

天はまだ我々に試練が足りないと言うのか。

「13小節と1小節のフェルマータ、そしてもう1小節」

これだけが我々に与えられた猶予であった。

こみ上げる笑い。

そして、直後はPPの伸ばし。

 

いや、待てよ。ミューザが何かを呼んでいるのかも知れない。

1年半くらい前だったか、チャイコフスキーの4番冒頭のブレスと共に「ヘクショイ!」って事件もあった。

全く、実に良いホールなんだが、何だか面白くなってしまっている。

 

さても、とにかく、帰れたのだ。

今日はもはやハンバーガーが出てくるまで5時間も待つことなく、会議室で椅子を並べて寝ることもない。

実に幸せだと思う。

 

 

2月10日

「定番の曲=良くやる曲」というのはあるもので、普通は「新世界」「運命」「チャイコフスキー5番」とかなんだろうが、

新日フィルは意外にやらない曲だったりするかもしれない。

 

年によってレパートリーは変わる。

ある年はショスタコーヴィチの4番、10番をそれぞれ立て続けに2,3回やったし、R,シュトラウスのアルペン交響曲すら続いたことがあった。

 

さておき、本当の意味で定番の曲と言えるのは、これまた意外にも

ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」なのかもしれない。

だが、これは学生オケでは滅多にやらないだろうし、しかも、結構嫌なPPが多く難しい。

今日、初めてこの1番ホルンを吹いたが、あまりの難しさに絶句。

3番と比べ、景色が違うどころではない。

とはいえ、やっぱり自分が3番吹くときも、嫌な箇所が何カ所かあるわけで、
楽な仕事なんてそう無いもんだよね、と納得。

3番は3番なりに難しいし、その難しさはあんまり人に解って貰えない。
まあ、難しそうだな、って思われたらへたくそ、ってことなんだろうし。

しかし、冷静になってみると、精々が数ヶ月に1度の割合だし、定番の曲ってのもどこまで定番何だかわからないものだ。

 

さておき、川崎のミューザは館内にチャンポン屋、ハンバーガー屋、コンビニ等があってファーストフード三昧が楽しめる。

サントリーホール直結のカレー屋、ラーメン屋、お茶漬け屋、豚カツ屋のメタボ養成ゾーンに匹敵すると言えよう。

トリフォニーの楽屋口向かいがコンビニ、なんて全然問題にならない。

ただし、トリフォニー周辺の店が基本的に量が多い。

 

よくやる定番の曲、というのは案外見あたらないが、

このホールに行ったときはこれを食べる、ってのはいくらでも思い付く。

まったく、深い呼吸でダイエットなんて、誰が言ったんだか。

深い呼吸を商売に使っている連中は食べるのが楽しみである場合が多い、と注を付ける必要は確かにないんだろうけど。

 

 

2月9日 シーシェパード

シーシェパードのニュースは全世界で注目を集めているそうだが、

いっそ、じゃあ、食いません、って言ってみたらどうだろうか。

ただ、捕鯨分の代替国内生産牛を保護育成するためとか何とか言って、

OGビーフはじめオーストラリア、ニュージーランドの食品輸入を制限する法案を可決してから、

と言ったら彼らはどんな顔をするのか、とは子供じみた発想だろうが、見てみたい。

 

彼らは鯨が大切なのではなく、日本人が嫌いなのだ。

ついこの間まで人種隔離政策を行っていた彼らは動物の方が黄色人種よりかわいらしく大切に思えるのだろう。

 

それが、文化だ。

捕鯨が文化、と日本人が主張するならば、

オーストラリア人の人種差別も文化、そう文化なのだ。

 

文化とは何か?怪しい限り。

ただ、「文」とは、

再生の色「青」と生命の色「赤」の組み合わせを言うらしい。

「命の再生」である。

わかりにくいが、ただ、春のように素晴らしいものが本来の文化ではないのか?

ただ文化と一括りにする捕鯨にも、シーシェパードの攻撃にも賛同できない。

だいたい、日本の伝統的捕鯨は南極ではやってないだろう。

流れ着いたり近海でとれたのを天の恵みとムシャムシャ食べるのだったら良くわかる。

シーシェパードもシーシェパードだ。いい大人が漁船に攻撃なんてなあ・・・。

 

まあ、そのうち、隣のでっかい国が何でもかんでも買ってくれてむしろ食糧危機で、

おかしなことになって鯨?食べた方が良いよ、みたいな話になるんじゃないだろうか。

 

 

2月9日 飛行機 機内持ち込み その2

飛行機に意外にもちょっと規格外のケースを持ち込めることはわかった。

しかし、今後はわからない。

 

そこで、いっそのこと自分で規格に合うケースを作ってしまえ、という結論にいたった。

外側のケースはジュラルミンや硬化プラスチック等の四角いビジネスケースを買ってくればよい。

そして、内側に楽器の形に沿った衝撃吸収の素材を敷けばよい。

 

と、簡単に言っても、その衝撃吸収が問題。

 

市販のはケースは強い。衝撃に強い。どんなにぶつけても案外凹まない。

だが、ケース自体は強くても、衝撃は中の楽器にしっかり伝わり、楽器は凸凹だ。
ケースは無傷でも、中身はボロボロってパターンは結構ある。
交通事故で、車が凹んだ方が中の人には安全、っていう話を思い出せば想像が付く。

とはいえ、簡単に凹んでしまうケースは売れないだろうし、簡単に凹んじゃうケースってのも難しそうだ。

 

そこで、水に浮くような感じにする、つまり楽器の周りを液体で覆ったらどうなのだろう?と思った。

ウォーターベッドをケース内に敷き詰める感覚だ。だが、水は使えない。

いざって時に破れてしまったらその場から楽器は裸同然になってしまう。

 

そこで、「シリコンならばどうだろう?」と思った。


最近は袋が破れてもビシャっともれずに程よくまとまるゲル状タイプの液状シリコンもあるという。

これを使ってみようか、と頭に浮かぶ。しかし、問題点も浮上する。

液体だけに、重いのではないか?

シリコンは水に浮くのか沈むのか?それすらわからないが、衝撃を吸収する位の量はかなりのものだろう。

手に持って運ぶ物であるから重さが非常に重要な要因であるだけに、シリコンの重さを調査することとなった。

 

とりあえず、身近なところから、シリコンに詳しそうな新日フィル男性楽員に聞いてみることにした。

すると、予想通り、

 

たいていの人は「シリコン=豊胸手術」というイメージを持っていることがわかった。

 

わかったのはそれだけだった。

まあ、水に近い液体であれば、水に重さは似ているわけで、
もし軽くとも、たかが知れている。それに、吸収するくらいならたくさんの容積が必要だろうし、
考えてみれば実現も難しい。

ただ、豊胸手術した胸は普通の胸より重いのだろうか、どうなんだろうか、と疑問だけが残った。

 

それによって思うことは、豊胸手術をする人は勇気がある、ということ。

注射のように一瞬針が身体の中に入るのですら恐怖なのに、常に得体の知れないものが身体の中にある。

それに耐えられる勇者のみが手にする巨乳という賛辞。

となると、あれは整形じゃないか、豊胸手術の疑いあり、改造、養殖物・・・・・・

なんて貶める言い方は良くないのではないか、と思い到る。

 

人間性善説と性悪説。

私はどちらかといえば性悪説を信じている。

人の性は悪なり。

だからこそ、善くしようと努力するのが人である。そしてそこに美しさがある。
人の無限の可能性を信じたのが性悪説で知られる荀子。なんて熱い男だ、と感動。

さりとて、養殖物の魚よりは天然物が美味いと感じるのも人情。

だがしかし、日本語が母国語の空海は勉強し、唐の知識階級が驚くほどの漢文を見事に書いたという。

一方、人の手が入っていない自然を絶賛し世界遺産に認定する世界意思。

方や、人工美の極致、ビルや高層建築を崇拝する人類。

 

 

 

さて、なんの話だったか。

 

 

2月7日 飛行機 機内持ち込み その1

久々に飛行機に乗った。飛行機で移動するほどの距離ではないにしろ、

安いパックに釣られて、というのもあったが、

今回の一番の目的は

「楽器ケースは本当に機内に持ち込めなくなったのか」を検証するため。

 

12月より手荷物の持ち込みが厳しくマニュアル化され、

40*55*25cm以内の物しか持ち込めなくなった、という報道がなされた。

これは演奏家の間でかなり話題になった。

オーケストラとしても、ヴァイオリンだとか、はたまたコントラバスの弓だとか、小さい楽器や小物類を置くためにたくさんの楽器置きの座席(AB席とかチェロ席とか言われてる)を購入しなければいけないのか、と財政的にも、そして安全面でも厳しいと溜め息。

 

で、私が使っているケースはホルンのベルカットモデルの丸い変な形。

これは非常にコンパクトであるが、高さが25cmを4cmくらい越えている。

このタイプのケースは全然ダメみたいだよ、とまことしやかに噂されていた。

 

それは本当なのか、と敢えて乗ってみようという気になったのだ。

 

行きは羽田空港を利用。

なかなか人が多い。そんな中、「ちょっと持ち込んでも良いですかね」、とか交渉するのも面倒になり、

素直に預けようと思いカウンターへ。

「楽器ですね?箱にお入れしましょうか?」と聞かれ、何も考えずに「はい」とお願いする。

ウレタンの入った青くデカイ箱に入れてもらった。

が、強い衝撃はケースを通して中の物体に直接影響するのを考えると、微妙な気持ち。

その上、凹んでも訴えない、とサインもさせられる。そして、列の後ろの人とか待たせてると思うとヤキモキ。

 

到着後、ベルトコンベアーに乗って一際目立つ青くデカイ箱。

周りも、あんなデカイ箱の中に何が入ってるんだ、と興味があるらしくチラチラ見ている人も。

そして、出てきたのはこぢんまりとホルンの丸いケース。出してもらうのに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

果たして、一か八か機内持ち込みのゲートにアタックしてみれば良かった、と後悔。

 

さて、地方の空港から帰ってくるとき、手荷物預かり所と検問の階が違うという面倒くささもあり、

これまた正直に、預けよう、と申し出る。

 

すると、予想外のことが起きる。

 

預けようとしたらかえって嫌がられた。

「これ、機内に持ち込めますよ」「これ、大丈夫ですよね?」

と荷物係の人達がしきりに機内に持ち込んだら、とすすめてきた。

それでも、「いや、微妙に大きいんですよ」と馬鹿正直に高さが若干越えていることを申し出る。

「では、その大きさを表示しているところに置いてもらって良いですか?」

と聞かれたので、置いて、微妙にはみ出ることを見せる。

 

すると、

「あああ、ちょっとはみ出てるねえ、まあ、でも、こんくらいなら良いですよ。」

とあっさり機内持ち込みをOKされた。いや、むしろ、持ち込めと言わんばかりだった。

 

どうも、随分話が食い違っているぞ、と。

 

これは、私が思うに、恐らく、マニュアルは徹底されているのだろうが、便の混み具合によっても対応が違うのだろう。

12月という忙しい時期に施行されたマニュアルだっただけに、その際はしっかりと守られたかも知れない。

つまり、メチャクチャ混雑する時期ならば、かえってマニュアルが徹底されるだろうから。
マニュアルに従うのが結果として時間短縮につながる、というのは周知の事実。

マニュアルに「人情」を加えると「判断」「責任」も加わる。結果として時間やストレスがかかる可能性がある。

マニュアルは、ちょっとでもはみ出ている=ダメ。と考える時間を短縮できるのだ。

 

結論。

「見た目が小さい私のケースは持ち込めるようではあるが、状況によってわからない」

なんともだが、持ち込めないかも知れない、とストレスがあることではこれまでと変わりなし。

 

そこで、ケースを自分で作ってみようか、と思った。

あの縦型のケースはちょっと似合わないし、まあ、嫌いだ。

 

そこで、その素材の話になるわけだ。

 

 

2月1日

はやくも1月が終わった。もはや宴会で新年会なる呼称は使えない。

そこで、雪が降ってくれたわけである。つまり雪見酒。

とはいえ、今宵はまだ一滴もアルコールを体内に入れていない。

昨夜も入れていない。なんと二連続の断酒とは我ながら、天晴れ。

しかし、1日を振り返ると、飲みたくなっちゃう日もあると思うのだが如何?

 

さて、今日は何をやったっけ?

ええと、今度の演奏会の練習だ。

曲は、

チャイコフスキー「スラブ行進曲」

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」

チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」

チャイコフスキー「1812年」

 

すこし飲んでから寝ようか、と思うも、既に1時か・・・・・。

 

 

1月28日

連日ニュースは暗い報道ばかり。

そして、中国は著しい経済成長を遂げている。

「日本はどうなるのでしょう?」とワイドショーは繰り返すだけで、展望を明らかにしてくれないので、

たまには自分で考えてみようか、と思った。

 

やはり、私としては歴史に答えを求めようとしてしまう。

 

大局的に見れば、

 

サブプライムローンによるアメリカ空前のバブル

中国の台頭

 

これが一番の背景だろう。

この状況で思い付くのが、「古代中国商王朝滅亡時」。

つまり、「商周革命」。

 

「後漢滅亡」を描いた「三国時代」いわゆる「三国志」と「商王朝滅亡」はまるで違う。

後漢は衰微して滅んだ。まあ、滅亡しても仕方ない、と思わせる王朝の話だ。

だが、商王朝は最後に繁栄の花を咲かせたのである。

それは、「物々交換」から「貨幣経済」へ移行させたことが大きいとされている。

つまり、「新しい経済理論による新しい経済システムによるバブル」。

これが商王朝とアメリカの共通点。

 

しかし、その本質を理解できていない多くの人がそれに不満を持ち、
それに追い打ちをかけるように新興国が台頭し、内外に敵を持つことになる。

苦悩する大国商(つまりアメリカ)。そして勢いのある新興国周(つまり中国)。

さて、日本は、その狭間にあり、どちらかというと商(アメリカ)寄りの与国。

もっと言えば、位置は極めて周(中国)に近いが思想的に商(アメリカ)寄り。

 

さて、そういう国がこの時代有ったかと言えば、答えはYes。

「崇」という国。

周の近くにありながら、商王朝に忠誠を誓っていた国である。

 

その後、その国はどうなったのか?

 

結論から言えば、滅びた。

 

良くないな。では違う例を。

今度は日本から考えてみよう。

かつて、二大大国の間にあって、かつ経済的に優れた国は無かったろうか?

 

ある。

 

「古代中国春秋時代」の「鄭」。

「晋」と「楚」という大国に挟まれながらも、交通の要所にあり、優秀な商人を多数輩出した経済立国といって良い。

さて、どうなったか。

 

結論から言えば、滅びた。

 

うーん、どうしたことだろう・・・。

まあ、いずれにしろ、商も周も、晋も楚も滅びるわけで、何とも言えないが、

 

「鄭」の生き延び方が参考になるように思える。

「鄭」は小国として、いかにその中にあって信条を貫くか、そして国を一つにまとめるかに苦心した。

国粋主義ともまた違うが、国民が何らかの形で国を愛して努力し続けられれば、何とかなる、ということか。

 

つまりは、為政者の毅然とした態度と教育に他なるまいなあ。

 

 

 

1月27日

第3のホルンアンサンブル第1回演奏会が終了。

予想以上の入場者数と拍手に驚く。またやって欲しい、との声を頂き有り難い限り。

 

宴会に宴会を重ね、ようやく実現した演奏会。

そう考えると、演奏会を主催していく、という事は大変だと思い当たるわけで、

それが仕事のオケの事務局の方々はもう肝臓が大変なんではないだろうか、と心配だ。

 

我々が演奏会を演奏して終える充実感とはまた別の充実感が彼らにはあるのだろう。

そんな事を考えながらトリフォニーに置いてあった、

「来シーズンのパンフレット」を見ると、なかなか鮮烈な印象があると感じた。

「ヒートテック」に使われる色を大胆に使っていてちょっとユニクロ的な印象もあるが、

新しい何かが始まる、という期待感がある様に思った。

楽員としても、やりがいのある指揮者とプログラム。

 

「第3のホルンアンサンブル」「つの笛集団」のメンバーであるのは確かであるが、

かえってそれが新日フィルというのを考えさせてくれる、という面もあるのかも知れない。

 

それにしても、また早く演奏会の企画宴会をやりたいものだ。

ただ、その前に、反省会をやらなくてはならないのが辛いところ。

 

 

1月20日

第3のホルンアンサンブルの演奏会が近い。

そして、楽器を購入。

この2つから導き出された答えは、当然ながら、「資金不足」。

ポンと一括で買えるはずもなく、ローンの返済が今年の課題となってしまった。

節約が必要な一年となるだろう。

 

そして、あるルートよりリサイタル開催の話が舞い込み、

夏以降に上野旧奏楽堂にて久々に演奏することになった。

所沢で一度リサイタルは行ったが、都内では初で、

いよいよ密かに編曲していた楽譜が日の目を見る、という事になりそうだ。

 

今年一年、私にとってはさほど大きな事件は無いだろう、と思っている。
まあ、そうありたい、と思っているに過ぎないだけだが。

だが、それが一番厳しい。事件がなければ努力しにくい。

案外、ローンを背負い、というのは死中に活、と言えるのかも知れない。

 

なお、妻と話し合った結果、我が家の経済を圧迫している原因の一つが、宴会、という結論に・・・・。

宵越しの金は持たぬ、とは、一流職人のみができた贅沢で、

二流以下は堅実に貯金していたという。

まさに、分不相応であろう。反省。

 

という訳で、是非、25日の第3のホルンアンサンブル第1回定期演奏会、お越し下さい!

 

メールでチケット承ります。

 

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ホルンで紅白歌合戦2014
新潟りゅーとぴあ2年連続登場
あのホルン紅白が新潟に帰ってきます! これは見逃せない!ご家族そろって新潟へ!

2014年8月30日14時開演
入場料1000円
紅組キャプテン大野雄太
白組キャプテン上間善之
ピアノ石井理恵
総合司会チャーリー犬和田
抱腹絶倒で夏バテにはウナギより効果あり!!お見逃しなく!

 


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